認知症への正しい理解を-1・佐藤雅彦氏からの投稿記事

認知症への正しい理解を
認知症は軽度であればいろいろな能力がのこされていて、
認知症と診断されれば何もできなくなる、と言う誤解をまたは偏見をなくしたい。
社会にある認知症に対する偏った情報、誤った見方は
認知症と診断された人自身にも、それを信じさせてしまいます。
この偏見は、認知症と生きようとする力を奪い、
認知症と生きる希望を覆い隠してしまいます、ことの偏見をなくしたい。

自己紹介
1954年、岐阜県に生まれ、大学の理工学部数学科を卒業後教員を経て、
コンピューター会社にシステムエンジニアとして入社。
1986年、マンションを購入。管理組合の理事長を引き受けました。
仕事とマンション管理組合の働きで多忙をきわめ、
体調をくずし、事務職を経て配送グループに配属されました。
1994年、洗礼をうけクリスチャンになりました。
2004年
秋葉原で配達先を見つけるのに時間かかるようになったり
都庁の帰りに出口を探して迷うようになりました。
2005年
台車をユーザー先に忘れるようになり、
常に、台車を忘れていないか不安でした。
また、届ける商品が複数個ある場合、
正しく届けたという記憶がなく、心配の日々を送っていました。
精神科医に相談すると、脳のCTをとるように言われ、検査の結果
萎縮が見られ認知症だと診断されました。
会社には病気休暇を出し、その期間が終わった2006年2月に
25年勤めたコンピュータシステム販売会社を退職しました。

早期診断 早期絶望
「あなたはアルツハイマー型認知症です」と医師から言われた時、
私は頭が真っ白になり、質問することもできませんでした。
医師から十分な説明がなかったので、私は書店や図書館に通い、
「アルツハイマー」に関連する本を片っ端から勉強しました。

でも、知識が増えるごとに、私は希望を失っていきました。
何を読んでも
「認知症になると考えることができなくなる」「日常生活ができなくなる」、
「いずれ自分自身のことも分からなくなる」「意思も感情もなくなる」
というようなことしか書かれていなかったからです。

いま、私は、それが真実ではないことを知っています。
「出来る・出来ない」だけで人間を語ることはできません。
自分が自分であることは何によっても失われることはありません。
自分がどのように生きていくかは、自分が決めて、自分でつくることができるのです。

ふたつの「認知症の偏見」
私は、認知症と生きる中で、ふたつの偏見を知りました。

自分の中の偏見
ひとつは、自分の中にありました。
私自身が「何もできなくなってしまう」と思いこんでしまい、
「失敗ばかりするのではないか」という不安に、身動きが取れなくなってしまいました。
社会の偏見
もうひとつは、社会にあります。
私の経験をいくつか紹介します。

新しいことを覚えられない
認知症のことを知るために読んだ多くの本や、
これからどうすればいいのか、という思いで参加した講習会では
共通して、
「認知症になるとすべての人が新しいことを覚えられない」
ということが述べられていました。
本当にそうでしょうか?
後ほど、私自身の経験をご紹介します。
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