最後の仕事

2001.7月の朝日新聞が優子さん最後の仕事です。ただし左枠のつくりかたの図面は私が描きました。優子さんとって簡単な図面なのに上手く描けませんでした。締め切りが迫っていたので私が手伝いました。この仕事を最後に一切の仕事を止めました。ボランティアでポップアップ絵本の作り方も教えに行っていましたが、それも止めました。翌年には私に内緒で地元の大学病院精神科に通院を始めました。自分の脳に何が起こっているか分からず不安で不安でしかたなかったと思います。
2001-7朝日新聞01
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この記事へのコメント:

アワキビ : 2017/02/14 (火) 22:47:41

魅力的な笑顔の優子さんですね。
このような素敵なお仕事をされていたということを、優子さんの介護にかかわる方々皆さんに知っていてもらいたいですよね。

私、夫の介護にかかわる方々には、夫のバックグランドを知っておいてほしいなあと思います。敬意をもって接してほしいのです。
でも、現実には、介護スタッフの皆さんお忙しいので、なかなか・・・
夫の書いた本とか、掲載された雑誌や記事などをケアマネさんらにコピーを渡して読んでもらうようにしたりしていますが。もちろん、折々に私から話をしたりもしているのですが、日々の介護にいかされているかどうかは?

アルバの会 : 2017/02/15 (水) 08:23:10

ありがとうございます。
優子さんは職人です。家の大工仕事は優子さんの担当でした。ノミ、カンナも上手く使えました。もちろん研ぐこともできました。
認知症に限らず尊厳をもってケアするのは基本中の基本なんですが、「認知症だから何も分からないわよ、どうせすぐ忘れてしまうから・・・」なんてことを平気でい言う施設の方もいますね。また認知症の方には幼児言葉が分かりやすいと勘違いしている介護職の方もいます。逆に「認知症なのにこんなこともできるの素晴らしいわ」妙に感心している介護職もいますが、全て上から目線なんですね。
介護職をしていて家族からの多くの情報を必要としています。役に立ちます。

シマウマ : 2017/02/16 (木) 21:43:08

アルバの会さん、
私も、夫の病気はいつから始まっていたのだろうと思います。
53歳で診断されましたが、40代だったのか、30代の時に頭を強く打った事が原因なのかと色々考えました。
そんな初期の初期に病院に行ってたら違っていたのかな・・・と。

それで、残念ながら認知症と診断されて思う事は、
世の中の人達にはやっぱり思いやりを持ってほしいです。
救いを求めて相談しても、相談員の方はいつも先生的な物言いで上から目線です。
認知症だと言うと、本人も家族も見下された感じで辛かったです。

アルバの会 : 2017/02/19 (日) 07:33:02

シマウマさんへ
ありがとうございます。
53歳の診断ですか、初期診断ができる頃はある程度進行している頃でしょうね。
ケアマネや専門職相手に若年性認知症について話す機会もあるのですが、正確な知識がないための誤解と偏見がまだまだ多いですね。意味性の話をしても病名すら知らない方がほとんどです。ピック病は怖い、対応が難しいとインプットされています。
一般の方はどのように接してよいか分からないこともありますね。
骨折する前は、プールに通っていたのですが周りの反応も様々でした。遠くからチラチラ見ている人、話しかけてくるのは介護経験のある年配の女性が多かったです。嫌だったのは「あらまあ、こんなに若いのに認知症なの、かわいそうね。ご主人も大変ね、頑張ってね」と言われる時でした。

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